
11月号の雑誌「民藝」の特集は「柳家の食卓」
今号に自分の母方の祖母の事が少し紹介されています。
自分の祖母は昭和13年〜17年の間、現在の日本民藝館の西館にあたる柳宗悦邸にて、お手伝いをしていました。
福島の田舎から単身東京へ行き、身の回りのこと、食事を主に学んでいたようです。
その当時作っていた食事の内容を祖母はメモ帳に書き記していたのです。
今回その内容が少し紹介されていました。
少し話しがそれますが、自分は祖母が亡くなるまで、柳邸でお手伝いをしていたことはあまりわかっていませんでした。
わかっていたのは東京の著名な方のところでお手伝いをしていたということと、自分が小学1年生の時に祖母や家族と一緒にそのお手伝いをしていたところに伺ったことだけです。
祖母が亡くなったのは自分が23歳の時。当時ミッドセンチュリーの家具やデザインが改めて人気がでてきて自分も学生の頃、20、21歳頃からデザインや家具に興味を持ち始めました。
きっかけは柳宗理さんの「バタフライスツール」
とても衝撃を受けたのを覚えています。そこから柳さんのデザインしてきたものや、いわゆるミッドセンチュリーのものを勉強したりしていました。
その頃から将来は家具を扱うお店を持とう!というのが夢でした。
大学を卒業し、1年間インテリアの専門学校に通いました。
その時が23歳。祖母が亡くなった年です。
その年、福島の田舎へ行き祖母の遺品の整理をしていました。
自分が片付けているところに、柳宗理さんのプロフィール(商品を買った時についているもの)の紙がでてきました。
自分はもちろん、柳さんが好きなので食いついたのですが、よく考えるとこんな山の中の田舎の家に柳さんのプロフィールがあることに違和感を感じたので、母親に「なんで柳さんの紙があるんだろうね?」と尋ねたところ、「柳さんのところでお手伝いしていたんじゃない!」と言われました。
今でも鮮明に覚えているんですが、とてつもなく鳥肌が立ちました。
柳宗理さんは、柳宗悦さんの息子さんです。
自分が家具に興味を持ったきっかけの柳宗理さんと祖母が繋がっていたなんて本当に驚きました。
もう一つの驚きは、小学1年生の時に伺ったのは駒場東大前の日本民藝館でした。
そこで記念写真を撮ったんですが、なんと柳宗理さんと僕は一緒に写真を撮っていたのです笑 しかもその時の担任の先生にお土産にコーヒーカップを買うとだだをこねたんですが、そのカップは宗理さんのデザインのもの笑 俺やるじゃん!って思いました。
そこから民藝
に興味を持ち、器の面白さに魅かれ、現在の「うつわとくらし s o l 」というお店を始める事ができました。なんとも言えない人と人の繋がりのお話。
話しは戻って、祖母のメモ帳から1週間分の献立が紹介されていました。
昭和16年8月24日(日)〜8月30日(土)のものです。
26日(火)の夜の献立に「マスのクンセイ」「おじゃがとリンゴのサラダ」と書いてありました。結構おしゃれな料理が並んでいたと思います。
祖母が料理が得意だった理由がわかりました。
母も料理が好きで得意で、その息子の自分も少しずつ料理を仕事としてやっています。これも偶然なのか今度撮影の仕事で作ろうと思っていたものが「マス(トラウト)の燻製」です。
今日この雑誌を読んでいて、祖母の事を思い出してとても懐かしく嬉しく思いましたし、お互いの「マスの燻製」を食べ比べしてみたかったなと一人しみじみしていました。きっと応援してくれているんだろうなと思います。
機会があればぜひ雑誌「民藝」読んでみてください。
長文失礼しました。
posted by sol at 21:12| 神奈川 |
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